障害者とアートで仕事をするデザインスタジオ

アーカイブの
可能性に挑戦する
みずのき美術館PARTNER 10
みずのき美術館/京都

京都駅からJR山陰線で約30分。理髪店だった大正時代の小さな町家を改装した「みずのき美術館」は、明智光秀が築いた丹波亀山城の城下町にあります。母体は、社会福祉法人松花苑。松花苑が運営し、美術館の名前の由来ともなった障害者支援施設みずのきは、亀岡の田園風景のなかにつくられた60年の歴史ある施設です。

みずのき美術館

創設5年目には、「みずのき絵画教室」(1964〜2001年)を開設。日本画家・西垣壽一(ちゅういち)さんによる指導は、重度の知的障害のある人たちの創造性を開花させ、1990年代には「日本のアール・ブリュットの草分け的存在」として注目を集めました。アール・ブリュットは、フランス語で「生の芸術」の意。1945年、フランスの画家ジャン・デュビュッフェが、専門的な美術教育を受けていない人たちが内から湧き上がる衝動をそのままに表現した作品を評価し、提唱しました。みずのき美術館は、みずのき絵画教室および現在の「アトリエ」で生まれた作品を収蔵・展示。アール・ブリュットの考察を行う場にもなっています。取材は、アトリエのあるみずのきの見学からはじまりました。

アトリエのあるみずのきの見学

暮らしが見える展示

みずのきを案内してくれたのは、みずのき美術館のキュレーター・奥山理子さん。お母さんが施設長をされていたため、みずのきには12歳の頃から遊びにきていたそう。利用者一人ひとりのことを、まるで自分の家族や友人のように温かい言葉で紹介してくれます。

みずのき美術館の展示設営とアトリエ活動に携わる森太三さん

アトリエに着くと、みずのき美術館の展示設営とアトリエ活動に携わる森太三さんが、「名刺交換が好き」な福村惣太夫さんを紹介してくれました。私たちの名刺を受け取ると、惣太夫さんはご自分の名刺を描きおろしてくれました。すると、ドローイング作品を手にふらっと立ち上がったのは牧野惠子さん。森さんに作品を見せて「あかんか、あかんか?」と問いかけます。「ええんちゃう?」と森さんが答えると、席に戻り新しい画用紙を手に取りました。「入所施設での生活は、どうしても個人が好きなように暮らせるわけではない部分があります。2週間に一度でもその人が自立して、画面のなかで主になれるのはとても大事やと思っています」と森さん。一つひとつの作品の制作プロセスを見つめながら「どうにか思いを受け取って展示するという役割」も大切にしています。

作品を手にふらっと立ち上がっては「あかんか?」と問いかける牧野さん

たとえば、作品を手にふらっと立ち上がっては「あかんか?」と問いかける牧野さんの作品は、あえて額装などはせずにひらひらと動きが出るように展示したそう。「一枚だけでは伝わりにくい作品も、集積で見れば面白くなることもあります。描いているようすを見ながら、どんな空間をつくって作品を展示しようかとイメージをつくっています」と森さんは話します。「みずのき美術館では、利用者それぞれの制作のあり方、生活のあり方までを背景に置いて展示空間をつくるようにしています」と奥山さん。たしかに、みずのき美術館に展示される作品は、作品の向こう側に制作した利用者その人の気配があります。

作品の向こう側に制作した利用者その人の気配があります

同じ作品なのに…

現在のアトリエ活動は、各自が自由気ままに絵を描いていますが、西垣さんの時代は画家養成の教室的側面が強かったそう。とりわけ1980年以降は、西垣さんは才能を感じたメンバーを選抜して、専門的な絵画プログラムを実施。筆の持ち方、色の選び方や塗り方、対象との距離の取り方に至るまできめ細やかに指導を行い、その結果として公募展に出した作品は高く評価されるようになりました。「西垣先生は、アトリエの様子からだけでなく、職員の日誌などから可能な限り彼らの全体像を掴もうとされていたようです」と奥山さん。「利用者一人一人の本質的な部分にとても大きな変化があったと思います。アトリエの中では『あなたらしくいたらよい』ということを、本人たちはちゃんと感じ取ることができていたのではないでしょうか」。

アトリエの中では『あなたらしくいたらよい』ということを、本人たちはちゃんと感じ取ることができていた

しかし、みずのきの作品に対する評価は時代とともに揺れ動きました。1994年、スイス・ローザンヌの「アール・ブリュット・コレクション」に、アジアで初めてみずのきの作品(6名32点)が永久収蔵。これを機に、みずのきは日本におけるアール・ブリュットの草分け的存在として知られるようになりました。ところが、ジャン・デュビュッフェの定義では、アール・ブリュットは「専門的な美術教育を受けていない人たちによる作品」。みずのきの作品は「アール・ブリュットか否か」という評価に晒され、あるときには「アール・ブリュットではない」とされ、扱いにくい対象となったこともありました。作品は変わらないのに、アール・ブリュットにまつわるみずのきの評価は、なぜこれほどまでに変動するのだろう? みずのき美術館が「アール・ブリュットの考察を行う場」としての位置づけを持った背景には、この問いかけに自ら向きあうと同時に「自分たちのこととしてみずのきの作品や歴史を語っていきたい」という思いがありました。しかし、西垣さんが2000年に他界してから美術館オープンまで、10年以上のブランクがあります。いったん途絶えていた歴史を見直す手がかりは、未整理なまま残されていた約2万点の作品群です。そこで、みずのき美術館は施設内に新しい収蔵庫を整備するとともに、みずのきで生み出された作品をアーカイブするプロジェクトに着手しました。

アーカイブを始めたわけ

アーカイブを始めたわけ

2014年、みずのき美術館は、「日本財団アール・ブリュット美術館合同企画展2014-2015 TURN / 陸から海へ(ひとがはじめからもっている力)」の自主企画としてデジタルアーカイブに着手。現在に至るまで作品の収蔵環境の整備、所蔵作品や絵画教室にまつわる資料のデジタルアーカイブ化を継続して取り組んでいます。みずのき美術館内で閲覧できる「みずのきアーカイブズ」では、みずのき絵画教室のあゆみがまとめられた年表と、約2万点の作品を収録。作品ページには、タイトルや作者名だけでなく、展覧会の履歴や絵画活動の日誌などの資料も収録。

『どうしようからはじめるアーカイブ』という冊子も制作

アーカイブ事業の3年目からは、『鞆の津ミュージアム』『はじまりの美術館』と連携し、3館の事例をまとめた『どうしようからはじめるアーカイブ』という冊子も制作。アート制作の場を持っている福祉施設に向けて、アーカイブにかかる費用、使った機材、撮影の手順や大学への協力要請などの情報を公開してきました。「作品は自らを語ることがない利用者を知る手がかりにもなります。」と奥山さん。アート活動を行う福祉施設がそれぞれに作品のアーカイブができれば、研究や商品開発の機会を開くだけでなく、日常的な福祉支援そのものにも貢献できるはずだと考えています。そのためには「外に開いてもブレない”体幹”となる施設や組織としてのアイデンティティ」が必要だと奥山さんは考えています。

「外に開いてもブレない”体幹”となる施設や組織としてのアイデンティティ」が必要だと奥山さんは考えています

「福祉施設は、その障害ゆえにたくさんつらい思いをしてきた当事者を守る場所。ただ、守ろうとするがゆえに、施設側が社会への壁をつくってしまう一面も否めません。意識的に開いていくためには、支援スタッフたちが誰よりも利用者について知り、また利用者と地域や社会との関係性を客観的に把握、分析するといった経験を得る必要がある、そして、そのことに仕事としての誇りを持つことが大切だと思うのです」。アール・ブリュットの考察、福祉施設で生まれるアート作品の収蔵とアーカイブ、そして自ら利用者とその作品を語る力を持つということ。みずのき美術館の取り組みは、全国でアート活動を行うすべての福祉施設の可能性をも開いていくものになりそうです。

〈まなび〉「なぜ?」と問い続ける
しっかりした体幹を持つべし!

みずのき美術館

みずのきを運営する社会福祉法人松花苑は、1959年に生活保護法・救護施設「亀岡松花苑(現みずのき)」として発足。以来、施設支援のほか相談支援、地域生活支援などさまざまな事業を行い、障がいのある人が、主体的に尊厳ある生活をおくり、その人らしく安心して暮らすことができるよう支援を提供している。2012年、みずのき美術館を開館。1964年にみずのきではじまった絵画教室で生まれた作品を所蔵し、所蔵作品のアーカイブと研究、アール・ブリュットの考察、地域型アートプロジェクトなど、多彩な企画を誇る。

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