障害者とアートで仕事をするデザインスタジオ

「うちの子、
できるんだ!」と
家族が気づくまでPARTNER 09
特定非営利活動法人コーナス/大阪

2005年、大阪・阿倍野に「アトリエ コーナス」が誕生しました。運営するのは「特定非営利活動法人コーナス」。純和風の古い町家を改築したアトリエで、およそ10名がアート活動をしています。アート活動を始めたことで、内職だけをやっていた時には隠れていたメンバーの個性や感性が溢れ出してきました。メンバーにもスタッフにも笑顔が増え、今では、下町で暮らす大家族のような、ほっとする場所になっています。

アトリエ コーナス

内職をやめよう、アートをやろう!

1981年、重度障害のある子を持つ親として、将来に悲観的だった白岩さんを変えたのは「ノーマライゼーション」との出会い。デンマークで生まれた障害のある人を隔離せず、地域で暮らせる社会を目指そうという理念に衝撃を受けます。「社会が変われば、自分たちの状況も変わるかもしれない」と、白岩さんは動き始めました。当時は、重度障害者を受け入れる施設が少なく、家族を支える制度もありません。地域にないなら「子どもたちの通える場所を自分たちでつくるしかない」。12年がかりで立ち上げたのが「コーナス共生作業所」です。作業所では、単純作業の内職をしていました。しかし、興味がない人、向いていない人はストレスがたまっていきました。納期に間に合わなければ親が作業をすることも。

白岩さんは「自由に過ごせる場所にしたい」と、内職をやめて「アート活動」を始める決断

10年ほど経った頃、白岩さんは「自由に過ごせる場所にしたい」と、内職をやめて「アート活動」を始める決断をします。町家をアトリエに改築し、良質な画材や、様々な素材を用意しました。スタッフは教えたり、強要することなく待っているだけ。気がつけば、多くのメンバーが思い思いの制作を始めていました。

アトリエには大きな机もあれば、一人で集中できるよう左右につい立を付けた作業机もあります。

アトリエには大きな机もあれば、一人で集中できるよう左右につい立を付けた作業机もあります。毎日、午前中が創作の時間ですが、その間は作っても作らなくても本人の自由。白岩さんやスタッフは、完成した作品を褒めるよりも、描いている・作っている行為自体を認めることに注力します。自由に表現できること、自分が見守られているという安心感が生まれ、メンバーにもスタッフにも笑顔が増えました。コーナスで生まれた作品は、それを作った人と同じように大切なものとして、全て保管しています。

海外だって行ける

海外だって行ける

最年長メンバーの西岡弘治さんは、音楽が大好きです。楽譜を緻密な線で描いた作品は、スニーカーやシャツのデザインに採用されました。植野康幸さんは、ファッション誌のグラビアをモチーフに、女性やファッションアイテムを描いています。2人の作品は、2016年にロンドンの展覧会へ招かれました。白岩さんは、コーナスで生まれた作品をたくさんの人に見てもらいたいと、単身渡米したこともあります。「西岡くんがこんな作品を生み出すことを長い間知らなかった。障害のあるなしは関係なく、誰にでも可能性があることを、この絵を通して伝えたい」。自身が積極的に動き、思いを伝えながらたくさんの人と出会うことで、アメリカやパリ、ロンドンなど海外でも作品が紹介されるようになりました。白岩さんにとって「自分から動けば思いはかたちになる」という自信につながる経験でした。

展覧会に出品したら、本人と一緒に見に行くことにしています

「展覧会に出品したら、本人と一緒に見に行くことにしています」と白岩さんは言います。西岡さんと、植野さんはロンドンへ赴き、ライブペインティングを披露しました。重度の障害がある二人に、長時間の移動は無理だと親は考えました。しかし、実際はまったく問題なく、街歩きを楽しんだほどでした。作品が広く紹介されると、購入したいという問い合わせも増えてきます。販売する際には、金額の大小よりも大切に扱ってもらえるかどうかをしっかりと吟味します。時間と手間を惜しまず、「作者も作品も守りたい」と考えています。

本当は、できる

本当は、できる

「アートをやると決めた時には、『絵なんて描けるわけがない』と親から大反対を受けた。勝手に無理だと決めつけて、子どもの機会を一番奪っているのは、私たち親だと気づくのに30年かかりました」。否定的な親たちを変えたのは、普段の暮らしでは見たことがない、子どもの生き生きとした姿でした。展覧会会場で公開制作をする姿、自信にあふれ目を輝かせる姿、関係者と名刺交換をする姿。その姿に、親たちは驚き、喜び、コーナスの活動をより応援してくれるようになるそうです。地域の人々も大切な応援者です。清掃活動や近隣へのお出かけの時に出会うと、「こんにちは」「ご苦労さん」と気軽に声をかけてくれます。アトリエが密閉されたビルではなく、下町の住宅街に溶け込む町家なのも身近に感じられる理由の一つ。声が聞こえたり、食事のいい匂いが漂ってきたり。メンバーもスタッフも、地域の中で暮らすように日々の活動を重ねています。

「日直さん」がコーヒーとクッキーを運んでくれました

取材に伺うと、「日直さん」がコーヒーとクッキーを運んでくれました。「日直さん」は朝の会の司会や来客のおもてなしをする人。その日の担当は、植野康幸さんで、去り際に指先だけをそっと触れる植野さん流の握手をしてくれました。白岩さんは、「時にはパニックで大声を出すこともあるけれど、みんなかわいくて、すごい作品を作る人でもある。障害者に対する偏見を無くしたい」と考えています。

〈まなび〉可能性を周りが決める必要はない!
まずはやってみよう

アトリエ コーナス

1993年に障害者の母親達によってコーナス共生作業所として設立され、2005年にリノベーションした町屋に移転。ひとり一人が自己を自由に表現する創作活動や、様々なプログラムを取り入れたアトリエ活動を開始した。自由に生み出されたエネルギー溢れる作品は国内外問わず評価を得ている。また施設は誰もが立ち寄れる日常的な交流の場として開かれ、地域に根ざした活動や多様なネットワークの構築にも努めている。

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