はじまりの美術館のご紹介
福島県猪苗代町にある「はじまりの美術館」。運営母体は、郡山市・猪苗代町を拠点に、主に知的に障害のある方の支援を行い、子どもから大人まで地域社会で安心して暮らせる街づくりをしている社会福祉法人安積愛育園です。アール・ブリュットを軸に様々な作品を展示する美術館としてスタートしたここは、気軽に美術に触れる場になっていると同時に、地域の人々がお茶をしたり、世間話をしたりする憩いの場にもなっています。今回は、はじまりの美術館学芸員・大政愛さんのご案内で、安積愛育園での取り組みと、美術館との連携・運営を中心に取材しました。
もっとよく描きたい!
安積愛育園では、以前から、事業所のメンバーによる制作活動「unico(ウーニコ)」が行われていましたが、美術館開館後は、制作するメンバーにさまざまな変化があったと言います。メンバーの森陽香さんもその一人。フランスで日本のアール・ブリュットを大々的に紹介した「アール・ブリュット・ジャポネII」展に出品するなど、世界的にも注目を集めています。「身近に美術館ができたことで展示作品を観るなどしてご本人も刺激を受けたようです」。
好奇心を刺激される一方で、「見られること」「評価されること」への意識も出てきたと言います。「周囲の目を気にせずのびのびと大胆に描いていたところが彼女の最初の持ち味でした。その後作品が少しずつ評価され始め、丁寧にかつテーマを持って描くことが増えて来ました。もっと自分の作品を見てほしいという気持ちも、彼女の自然な感情の一つだと思います」。学芸員の大政さんが、森さんに対して「作品としての良し悪し」という視点から接している様子が印象的です。「メンバーがその人らしく活動できるのが一番ですが、森さんはがよく『どうすればもっと作品がよくなるか』ということを聞いてくださるので、それに対して誠実に答え、話し合うようにしています。」。森さんの「作家になりたい」という思いに真剣に応えようとするからこそ、学芸員と作家としての真摯で対等な関係性が生まれているようです。
わたしは◯◯です
伊藤峰尾さんも、美術館ができたことで取り巻く環境が変わりました。伊藤さんが描くのは、文字。伝達するための読みやすい文字や読みやすさ、習字としての美しい文字とはまた違う魅力があります。「伊藤さんの描く文字がおもしろいと、職員が気がついたことが始まりです。職員の家を新築したときには、表札の文字を伊藤さんが手がけたこともあるんですよ」。伊藤さんも人に見てもらって、喜んでもらえることがうれしいそうです。
伊藤さんの個性は、作品だけでなく、事業所に通うスタイルにも現れています。毎日、スーツにネクタイを締めて、伊藤さんのためにつくられた決まったデスクに「出勤」するのが、日課。たまに電話をとったり、事務作業のようなことをしたりして、職場にいるかのように過ごします。伊藤さんの職場としての要素を強くしているアイテムが、名刺です。「はじまりの美術館で開催した個展開催を機に、プロの写真家に撮ってもらったポートレイトを入れた名刺をつくったんです」と大政さん。今回の取材でも、伊藤さん自ら、名刺交換をしてくれました。自分の存在を証明する一助となる仕事に欠かせないアイテムがあることは、伊藤さんが自信を持って人と出会い、交流することに繋がっているようです。
いいものは残す
安積愛育園は、創立50周年を機に、事業所でつくられた作品のアーカイブとインターネット上での公開を開始。同じくアール・ブリュットの美術館として運営している、みずのき美術館、鞆の津ミュージアムと共に、作品アーカイブに関するノウハウや考え方を共有してきました。「はじまりの美術館」では、はじめに学芸員の大政さんと、事業所の職員で未来に残したい50作品を選定しました。選ぶ基準は、その人の代表作となるようなメジャーなもの、インパクトのあるもの、制作過程に印象深いエピソードのあるもの、まだ展覧会などには出てきていないけれど面白いルーキー的なもの、という4つ。「福祉施設の職員という立場から制作をサポートしている職員のみんなは、作品に対する、学芸員としての専門的な価値判断を期待している面もありました。でも、今回アーカイブをするうえでは、職員が現場で日々メンバーのみんなを見ているからこそわかることを大切にしながら、様々な関係性によって生まれてきた作品を中心に残していきたいなと思っています」と大政さん。このアーカイブサイト「はじまりアーカイブス unico file」(https://hajimari-archives.com/)では、色味や、モチーフから検索することもできるのが特徴。ページをきっかけに商品化についての問い合わせがあったことも。徐々に認知度は高まっているようです。
現在、美術館の運営を担うのは、館長の岡部さんと、学芸員の大政さんと、企画運営の小林さんの計3名。大政さん以外は専門的な美術教育を受けたバックグラウンドを持っていません。お話を伺った小林さんは、飲食関係の仕事から、美術館の仕事へ転身。「自分の住んでいる地域で仕事がしたいという思いがあったんです。そこに、何だか地元でおもしろそうな企画が始まると聞いて、美術館構想の段階から一住民として参加したのがきっかけ。美術館でカフェをやるなら手伝えるチャンスがあるのでは、と密かに就職を希望していたら、美術館のスタッフとして入れることになって、一から仕事をはじめました」。現在も、気になることやアイデアをストックし、精力的に仕事しています。「企画から設営、広報、受付まで、すべての過程にスタッフ全員で関わっているので、お客さんの反応が直接伝わってきます。お客さんに展示解説をすることもあるんです。最近は、美術館のInstagramを見て来たと声をかけてくださる方もいて、励みになっています」。展覧会以外のイベントも積極的に開催。開館記念日など年に数回開くマルシェも賑わいます。「会津近隣の飲食店の方々に出店してもらったり、近所の方に子供も参加できるワークショップを開いてもらったりしています。美術館スタッフも総出です。開催中に美術館を覗いてくださる地域の方もいて、私たちにとっても大事な時間になっています」。
取材中、フラッと展覧会を観に来て、スタッフの方々と談笑して帰る方を見かけました。制度が明確化されている都会の美術館では、なかなか築くことのできない関係性に、少しうらやましいような気持ちにもなりました。地域に必要とされる美術館とは、展示や保存、収集といった法律で定められる役割だけでなく、より柔軟に役割を見つけ、地域のなかでハブとなるような存在なのかもしれません。
〈まなび〉美術館という場が生まれることで、
新しいムーブメントが生まれる
はじまりの美術館
2014年 福島県猪苗代町に開館。梁の長さが十八間ある酒蔵・十八間蔵をリノベーションした小さな美術館です。「人の表現が持つ力」や地域やコミュニティの「人のつながりから生まれる豊かさ」に視点を置き、「さまざまな人が集える場所」を目指していろいろなテーマの企画展や地域でのプロジェクトを実施しています。
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